日本史あれこれ

藤原四子とはどんな人物か?何をしたのか?3~武智麻呂政権の政治と終焉、四子の子~

前回は藤原不比等の没後、長屋王との対立を経て、武智麻呂の政権が成立する様子を見てきました。最終回の今回は、武智麻呂が政権基盤を固めていく過程と、その政治、そして政権の終焉について見ていきます。また、四子の子どもについても少し書きたいと思いま...
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藤原四子とはどんな人物か?何をしたのか?2~長屋王の変と武智麻呂政権の成立~

前回は藤原四子が父・不比等のもとで政治の表舞台に出ていく様子を見てきました。今回はその不比等が亡くなり、長屋王との対立を経て、武智麻呂の政権ができていく過程を見ていきます。※諸説あるものについては、本ブログでは原則として木本好信『藤原四子』...
日本史あれこれ

藤原四子とはどんな人物か?何をしたのか?1~父・不比等のもとで~

「藤原四子」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。藤原氏の4人の子という意味です。4人の名は武智麻呂・房前・宇合・麻呂。親は藤原不比等、祖父は有名な中臣(藤原)鎌足、妹には聖武天皇の妻(光明皇后)がいます。この4人は奈良時代に政界の中心に...
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日本史あれこれ

『図説 藤堂高虎』を読んでみた2~本書の誤りを検証する~

前回は『図説 藤堂高虎』の概要の紹介と単純な誤りについて書きました。全体を通して、高虎の生涯をコンパクトにまとめ、史料も多く用いながら具体的に記述しているのは、本書の良い点であると思います。一方で、高虎を研究する私からすると、多くの誤りがあ...
日本史あれこれ

『図説 藤堂高虎』を読んでみた1~その概要と誤植~

以前に豊臣秀長の概説書として『図説 豊臣秀長』を紹介しました。同じ図説シリーズで、秀長の家臣であり、後に大名になった藤堂高虎の本『図説 藤堂高虎』が令和7年11月に出版されました。今回の『図説 藤堂高虎』はどんな本なのでしょうか?その中身を...
日本史あれこれ

ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~さ・し・す・せ・その由来~

これまで、ひらがなの「あ行」と「か行」の由来になった漢字を紹介しました。今回はその続きで、「さ行」を紹介します。現在のひらがなからは想像できない、元の漢字もあります。現在のさ行の由来となった文字あ行・か行と同じように、さ行の各ひらがなにも、...
史跡紹介

東海道藤沢宿はどんなところ?2~藤沢宿に生きた人々の痕跡と義経伝説~

前回は藤沢の歴史と藤沢宿の東端から藤沢御殿跡までを見ました。今回はその続きで、藤沢宿の西端までを見ていきます。前回と同様に、ふじさわ宿交流館にあったパンフレット掲載の地図を載せておきます。大きいので、3分割にした内の右から2・3枚目(西側2...
史跡紹介

東海道藤沢宿はどんなところ?1~寺も遊行寺、橋も遊行寺~

神奈川県の藤沢という町(市)を聞いたことがありますか?時宗の本山である清浄光寺(遊行寺)がある町です。清浄光寺は以前に紹介しましたし、こちらが有名かもしれませんが、ここは江戸時代に東海道五十三次の一つ、宿場町でもありました。宿場町というと、...
日本史あれこれ

水中に昔の遺跡?琵琶湖の水中遺跡(湖底遺跡)とは?

先日、滋賀県の琵琶湖にある水中遺跡(湖底遺跡)で、1万年以上前の縄文土器がほぼ完全形で見つかったというニュースが流れました。でも、琵琶湖は有名ですが、「水中遺跡」とは?なぜ水中に遺跡が?なぜ水中に人が使う土器が?といったハテナがあるのではな...
史跡紹介

東海道藤川宿はどんなところ?

東海道といえば江戸時代の街道で、現在も東海道新幹線等にその名を残しています。東海道五十三次が有名で、53の宿場町がありました。今回はその内の一つ、愛知県岡崎市にある藤川宿を紹介します。なぜ藤川宿にしたのか?それは単に私も知らなかったので、行...
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